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龍神崇拝・太陽神崇拝

世界中の寺社仏閣、古代の遺跡や陶磁器、日本画などの芸術品また、身近なところでは中華そばの器など、洋の東西問わず、そのモチーフが多く見受けられる 「龍」とは、いったいどの様な存在なのでしょうか、 想像上の生き物としてあつかわれていますが、私たちに非常に身近な存在であることは、明白なところでしょう。
日本の古い伝説のなかでは、雨乞いをしていたら瑞雲と稲妻とともに龍神様が現れて雨をもたらせていただいた伝説のようなものがあり、わが国では祭神として祭祀している神社も多くあります。
このページでは、龍神総宮社の御祭神である「龍神」についてご説明させていただきます。


日本の神様の中でも、様々な神様の呼称があります。明神様、大神様、弁財天様・・・等、これは神様の位階を表すもので、龍神という呼称も神様の一つの称号であるのです。
また、龍神という表面だっての呼称がなくても、実は龍神様の場合もあります。また、その逆に龍神と呼称がついていても、実は、へび神であったり、龍陀神であったりする場合も多くあります。
龍神とは、神の世界の最高位の称号を現すもので、この大宇宙の中であらゆる問題を解決なされるお力をお持ちである神様のことを龍神とお呼びするのです。

龍神が神様の中でも、最もお力をお持ちの神様であることは前述していますが、その龍神および、すべての神仏を統括し全宇宙を統括している神々様を天上王神様とお呼び申し上げます。
天上王神様とは、この銀河宇宙を治め給う天主天帝様を中心とした、雲上ヶ原(神界の行政機関)に御参集なされる神々様の呼称で、各神界、神族(高天ヶ原系、出雲系、東雲系、長野原系、天龍八部系)の長を主に天上王神様という呼称でお呼び申し上げるのです。
この雲上ヶ原では、大宇宙(自然界)の運行、人間界、霊界の守護体制も、神々様の協議の上で決定運行なされるのです。天上王神様は、とりわけ優れた全知全能のお力をお持ちの神々様で、龍神および全ての神仏を擁護なされておらるのです。


龍神様のお姿は、全宇宙に愛のみ光を与え給う為、万物のすべてのお姿を含めたお姿であられるのです。たとえて言うならば、眩いばかりに光る太い髯を持った雷光のようなお姿であり、目は慈しみ深く、深遠な宇宙の神秘な輝きに満ちたものです。
角 は生命の力を現し、髯は長寿のしるしであり、左右に伸びた口ひげは万物実相の方位を示すものと見ることができます。さらにその巨なる手足は天と地を現して います。また、手に持つ如意宝珠はすべてのものが備わっているという象徴であり、すべてを包みこむ愛の力のしるしなのです。
しかし、龍神様の本当のお姿は、私たち人間とほぼおなじお姿をなされておられます。そのお姿の時は太陽神として崇拝され、天空を駆けるときなどに龍体のお姿の時には、龍神として崇拝されてきたのです。
万物を育み、慈しみの心でこの大宇宙を守護いただき、生命の源となっている存在が、龍神であり太陽神であるのです。即ち龍神と太陽神は表裏一体の同一神なのです。


太陽に向かって手を合わせ、感謝の心を捧げる。
これが「太陽神崇拝」でございます。太陽系の惑星の一つである地球上に生きさせて頂いているからには、太陽が神様でございます。太陽がなくなれば、人間は生きていられません。他の動植物も生きていられません。地球も他の惑星も存在することができません。
地球が命ある星として存在することができているのも太陽のおかげでございます。
すべての人間は、太陽に感謝をしなければなりません。
人類の歴史の中で、様々な信仰の対象が生まれては消えておりますが、それらの信仰の対象がなくなったとしても、太陽がなくなったときのような衝撃は起こりません。
そのように考えれば、太陽の他、神様と呼べるものはないということが、お分かりになることと存じます。
日本の縄文文明、シュメール文明、エジプト文明、マヤ文明など様々な文明は、すべて太陽を崇拝しておりました。「太陽神崇拝」が、古代人の劣った信仰だと考えるのは、現代の科学力が、古代の科学力より優れているからだと考えるからでございます。
実際は、そうではございません。ピラミッド一つを例に取ってみても、古代人の科学力の方が、現代の科学力より優れておりました。縄文日本人たちの暮らしぶりは、自然との調和を取ったものでございました。つまり、科学の進歩していた時代や文明の方が、「太陽神崇拝」を行っていたということでございます。
「本能で、太陽に手を合わせる」ことは、素朴、幼稚、原始的と思われるかもしれません。例えば、日本の神道は、「太陽神崇拝」を継承している教えでございますが、教理・経典を持っておりません。祝詞(のりと)だけでございます。
それは、神様である太陽に対して、感謝の心を捧げるだけでよいから、何も書いたものがないのでございます。他の宗教では、それぞれ難しい教理・経典が書かれております。
けれども、教理・経典が作られれば、それを書く人々、解釈する人々が登場して参ります。そして、教える人と教えられる人に分かれることになりますが、教えられなければ、手を合わせることができないものは、本当の神様ではございません。
そのようにして考えてみると、誰もが、教えられなくても、手を合わせることができるのは太陽だけということになるのでございます。
そして「庚申塚龍王神祖神様」こそが、太陽のお姿で、天・地・人界をお治めになっていらっしゃる「天上王神様」でございます。神々様は、人間をお作りになられますときに、御自身の写し身として、そのお姿をお与え下さいました。もったいないことでございますが、人間の姿は、太陽神とお呼び申し上げますときの神々様のお姿でございます。
さて、「天上王神様」「天上神様」は大宇宙を統括管理なさっておいででございます。広大無辺の宇宙を御移動なさいますときに、お姿を龍体にお変えになられます。
ですから、龍神とは、「天上王神様」「天上神様」の別称でございます。中国、インド、ヨーロッパの絵画に龍の姿が描かれることがございますが、それらは全く異なるものでございます。
龍神のお姿は、全宇宙のすべての生物に御光をお与え下さるという御慈愛の意味から、すべての生物の姿を含んでおられます。そのため、一言で表現することは難しいのでございますが、全体は、眩く(まばゆく)光り輝いておられます。その眼は慈しみ(いつくしみ)と厳しさ(きびしさ)を兼ね備え、深遠で透き通った神秘な輝きに満ちておられ、大きな角は生命力を表し、口ひげは万物実相の方位を示し、手と足は天地を表しておられます。更に、手にお持ちの宝珠(ほうじゅ)は、全知全能のお力を備え(そなえ)ていらっしゃり、すべてを包み込む大きな愛の力の「しるし」を意味しておられます。
古来、人間は、太陽の恵みに対し感謝の祈りを捧げる一方で、自然の猛威に対し、瑞雲、稲妻と共に現れ、雨を降らす神、水の神として、龍神を祀る習慣ができていったのでございます。様々な伝説がございますが、神々様のお力は、語り尽くせるものではございません。そのほんの一部が語り継がれていると申せましょう。
いずれに致しましても、太陽神崇拝と龍神崇拝は表裏一体、同じことでございます。
広大無辺な宇宙を創造し、統括管理され、すべての生命を擁護されている「天上王神様」が太陽神であり、龍神であられます。その御心に沿い奉り、「素直な心」「感謝の心」「慈愛の心」を持って、自然との調和をはかり、安らぎのある心豊かで、微笑み(ほほえみ)に満ちた世界を築き上げていくことが、「太陽神崇拝・龍神崇拝」の目指すものでござます。
龍神総宮社は、太陽神崇拝の元神であり、全ての龍神を総括され給い、天上王神様の存在位相を初めて明らかにすると共に、天上王神様を正しく祭祀奉る崇高なる神社でございます。